「鉄の芯棒を真綿でくるんだような人」

道立近代美術館の「いわさきちひろ展」、そして映画「いわさきちひろ27歳の旅立ち」を見てきました。

札幌での用事があって、グッドタイミングでした。s-P5160237

1918年生まれの ちひろは私より35歳年上、私の母より10歳上の世代です。

親に逆らえずいやいや結婚…満州に渡り・・・戻ってきて空襲にもあい、焼け出され、お国のためと戦争に協力していた両親は職を解かれ、長野で慣れない開墾生活・・・

そんな状況から、27歳にしてようやく画家への道を歩き出し、画壇の批判や著作権確立のための運動・・・絵筆1本で家庭を支え、自分の体験した戦争への思いとベトナム戦争への思い・・・・・

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子どもへの暖かいまなざしを感じさせる数々の愛らしい絵からは、想像もできない厳しい人生を生き抜いたちひろでした。

監督の海南智子さんによると・・・

ちひろについてのインタビューに答えた様々な人が「鉄の芯棒を真綿でくるんだような人」とこたえたことが印象的。

ちひろが「人間として」「アーティストとして」「働く女性として」という三つの譲らない信念を持っていたことを感じ、それが「ちひろの強さ、鉄の芯なのでは」。

ちひろの絵は、挿絵をはるかに超えた、社会の何に対して自分が立ち向かうのか考えながら描かれた作品だと思います。

・・・とインタビューにこたえています。また、この映画製作を終えて出産も経験した海南監督は、放射能をテーマにした短編映画をまとめているとか。

ちひろが今も生きていたら、やはり海南監督や私たちのように、放射能の問題に無関心ではいられないことでしょう。戦争のほかにも人の命を脅かすものが目の前に出現してしまったのですから・・・。

あらためて、自分自身の人生も 「人間の生命・健康・自由」を奪うものに立ち向かっていくこと、

また、このことに欠かせないのが日本国憲法の柱になっている、「戦争放棄」・「基本的人権の尊重」・「国民主権」・・・憲法守れ、原発いらない、雇用を守れ、安心できる医療・社会保障・教育、安全な食料を!…なのだとしみじみ思いながら、「今それらの全てが危険にさらされているのだ」と再確認の1日でした。

あしたから、またがんばりましょう・・・!

 

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