道新記事「夕張市の課題、児童が鋭く質問 模擬議会」について

右の画像は、北海道新聞に2月25日朝刊に掲載されたものを児童の顔の部分をカットしたうえでお借りしています。

ゆうばり小学校6年生による「模擬議会」について、これだけの記事では内容が不明確だと思いますので、

私の役柄であった「担当課長」としての答弁を全文紹介します。

制限時間の「5分間」をどう有効活用できるか・・・思いは伝わったのか・・・自信はありませんが、夕張の子どもたちの心に、「今後の市民としての活動の中で、専門家に相談してみる」ということがインプットできたのであれば、私の目論見の中では成功ではないかと思っています。

 

【答弁】

遠藤議員と2班の皆さんの質問にお答えします。

「炭鉄港(たんてつこう)」を学習されての質問で、
質問の内容は、末広2丁目のコークス工場跡を「見学できるように整備できないか」、ということと、

「清水沢のズリ山や炭鉱住宅の活用をすることによって、夕張に来る人を増やしたい」というご質問だと思います。

まず最初に、末広2丁目のコークス工場跡の件ですが、

産業遺産として、活用し、多くの人が見学するには、

「まず、そこに住んでいる人たちの暮らしを邪魔しない」ということが
大切なポイントといわれています。

今回のコークス工場の跡地は、川沿いの細い道路の行き止まりの場所であり、周辺には民家が何件もあります。

その細い道路は、バスで入ることは不可能ですし、小さな車でさえも、すれ違うことも大変な狭い道路です。

もし、乗用車を使っていくとしても、何台も連ねていくのは、住民の人たちにとって、大きな迷惑となりますし、駐車のスペースもありません。

そしてもう一つの大きな問題は、その施設が「民間の持ち物」であるということで、市が何かをできる状況でもありません。

そういう状況がわかってくると、とても残念な気持ちになるかもしれませんが、

炭鉱(やま)の記憶推進事業団のホームページには、
「・・・地域再生に向けて
炭鉱の記憶を生かすためには、
残すことだけが 方法ではありません。

形ある炭鉱遺産は、格好の目印となって人が集まってきます。

そこに「場」を作ると、
その奥に埋もれている、
形のない炭鉱遺産が見えてきます・・・
と書かれています。

その「場」というのは、
各地の博物館であり、

夕張では石炭博物館ではないでしょうか。

「残したいけれども、残せないもの」については、写真や映像などで

博物館に残しておくのが、
人に伝える一番の方法です。

また、
清水沢のズリ山や炭鉱住宅についての
ご質問は、

清水沢プロジェクトという団体が
エコミュージアムという活動をしていて、

街歩きやズリ山を登る活動など、
さまざまなイベントをやっています。

ホームページやフェイスブックなどで
発信もしていますし、
今はコロナであまりやっていませんが、

コロナ前には、子ども向けのイベントや
子ども食堂などもやっていました。

きっとみなさんもご存じかもしれませんね。

https://www.facebook.com/shimizusawaproject

過去の産業で使った古い建物などすべてを、
産業遺産だからといって
もし、そのままそこに、ずっと置いておいたら、どうなるでしょうか?

現在や未来に向けて、その場所を活用することができません。

炭鉄港は「日本遺産」に認定されましたが、

「日本遺産」とは、
地域の歴史的な魅力や特色を、
有形・無形の様々な文化財で語る
ストーリーにし、その魅力を広く発信するとともに、

人材育成、伝承、環境整備の取組を
効果的に行い、
地域のブランド化や
アイデンティティの再確認をするもの
といわれています。

みなさんはどんなストーリーを広く発信したいでしょうか?

石炭を掘るためにつくられたまち、
夕張は、
最盛期には12万人もの人々が
暮らしていました。

炭鉱で働く人たちは、
落盤や爆発事故などを起こさないよう、
一生懸命に、細心の注意を払いながら
命がけで働いていました。

それでも、たくさんの事故が起こり、
たくさんの命が失われました。

その後、エネルギー政策の転換で、
時代は石炭から石油へとかわり、
夕張の炭鉱はすべて閉山し、

職場を失ったたくさんの人が
仕事を求めて 夕張を後にしました。

そして、今、現在、約7000人の町へと
変化してきた
この数十年の歴史の中でも、

財政破綻(はたん)をはじめとして、
たくさんのストーリーがあり、

どの時代でも、どの場所でも、
人々はみんな一生懸命に生きてきました。

そんな歴史の中で、どうしても残したい
産業遺産があるのでしたら、

今回の質問をまとめるときのように、
まずは同じ思いの人を集めて
知恵を出し合い、

そして、専門の人に
相談することをお勧めします。

専門の人というのは、「学芸員」といって、りすたの中の教育委員会に
配置されています。

たぶんみなさんがよく知っている、ズリ山にも一緒に登ったりしたことのある人です。

最後に その学芸員さんから、
「皆さんが相談に来られるのを楽しみにしている」というメッセージを
お預かりしましたので、

そのこともお伝えして、答弁といたします。

 

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