「君が代」元年? 」

 数年前、穂別で教員をしていたとき、卒業式・入学式に「君が代」が導入されることとなりました。99年の「国歌・国旗法」制定に伴ってのことです。

音楽の先生が伴奏を拒否したため、式には録音テープを流すことが決まり、子どもたちには「日の丸」「君が代」が問題を残しながら法制化されたこと、「内心の自由」などを説明することを教職

員で申し合わせ、「歌う・歌わないは自由」、「起立する・しない」は問題が大きいので、「修礼」のあと、座らずにそのまま「国歌斉唱」と決まりました。

“ステージ中央に日の丸、演台、その横には松の盆栽”という、古式蒼然とした雰囲気で、子どもたちと教職員が誰一人として歌わない中、録音テープに合わせ、教育長と校長の歌声が体育館に響く異様なものでした。

つられるように、父母席から低い声が。(学校の影響力は、大きい…!)

それ以前、私が通勤していた南空知の小中学校では「君が代」はまだ導入前で、「日の丸をどうするか」「生徒たちが主役の式をどうつくるか」というのがこの時期の職員会議の議題でした。

また、長女・二女の親として出席した、夕張の小中学校では「日の丸」さえもなく、本当に先生たちの創意工夫で「子どもが主役の卒業式」を作ってくださり、子も親も心からうれしい、晴れの卒業式でした。

さて来月、今度は我が家の第3子、長男が中学校の卒業式を迎えます。1年生の時「日の丸」をめぐって2時間もの間、卒業式が中断されるという「事件」の記憶も新しいまま。

平成元年生まれ、「消費税元年」にこの世に生を受けた彼らの卒業式は、夕張での「君が代元年」になるのでしょうか。

東京都の一部では、“声量指導”まで出されました。 憲法で決められた「内心の自由」を守ることはどこへ消えたのでしょう?

教育基本法でうたわれた、「不当な支配」にずるずると屈していく、この国の主役はまだ国民のはず。

式の主役は生徒のはずです。
「お上に逆らわず、もの言わぬ国民」づくり…、許せますか?

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