人が死んで残るものは…

七月十二日の北海道母親大会に参加しました。
記念講演は女性史研究者の山崎朋子さんの『女性史の窓からー今を考える』です。

八歳のとき、大型潜水艦の艦長であったお父さんは、乗組員とともに潜水艦ごと開戦前に沈没。
マスコミ報道の転換で、非国民から、一転悲劇の英雄へ、さらに映画化までも。何と戦意高揚のためでした。
「これからいろんな理由をつけて、自衛隊の派遣、徴兵制へ…。いつか来た道にそっくり…。」と。

 東大法学部の最優秀の学生であったにもかかわらず、朝鮮人であったがゆえに、卒業後は一切の職にもつけず、不条理な別れを余儀なくされた最初の夫。

 朝鮮語を教えることさえも奪った、植民地政策。そして、侵略戦争の中で利用され、従軍慰安婦という非人間的で悲惨な運命を強いられたアジアの女性たち。

 民間人を人柱として送り込んだ満州開拓と大陸花嫁。
敗戦時、軍の上層部だけが逃げ帰り、民間人には敗戦も知らされず、悲惨な逃避行と、多数の残留孤児。

 なぜ、軍国主義・戦争への道を防ぐことはできなかったのか。
婦人選挙権を獲得する闘いでの、反戦決議を大衆は支持しませんでした。

 …当時流行っていたのは、エログロナンセンス、そして三S(セックス・スポーツ・スクリーン)…「無関心こそが平和の敵、戦争への道。一番大切なのは自分の暮し、戦争は他人事。今とよく似ています。」

「人が死んで残るものは、生きている間に何をしたか、何をしなかったか、ではないでしょうか…。」
日本を戦争する国に変えないために、何をしますか?

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